大判例

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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)1593号 判決

原告 河村不動産株式会社

右代表者代表取締役 河村昌平

右訴訟代理人弁護士 高安安寿

被告 上田長右衛門

同 合名会社住長商店

右代表者代表社員 上田長右衛門

被告両名訴訟代理人弁護士 大山菊治

同 松家里明

同 長谷川太一郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担する。

事実

原告訴訟代理人は被告上田長右衛門は原告に対し別紙目録記載の建物を収去しその敷地である東京都中央区日本橋大伝馬町一丁目三番地二宅地六二坪四勺を明渡し且昭和三三年二月一五日から明渡済に至るまで一ヶ月金六万二八〇〇円の割合による金員を支払え、被告合名会社住長商店は前記建物から退去せよ、訴訟費用は被告等の負担とするとの判決並に仮執行の宣言を求め請求原因として、次のように述べた。

東京都中央区日本橋大伝馬町一丁目三番地二宅地六二坪四勺はもと訴外天野源七の所有に属し、被告上田は同訴外人よりこれを賃借、建物も所有していたが、戦災により焼失、罹災借地借家臨時処理法により昭和二一年九月一五日より一〇年の期間を以て同訴外人から賃借してここに別紙目録記載の建物を建築所有するに至つた。訴外天野は財産税納入等のために被告上田に対しこの土地の買受を懇請したが他の借地人が揃つてこれが買受けに協力したのにもかかわらず、同被告のみは天野の足もとにつけこみこれに応じないし、また地代の値上の正当な要求に対してもこれを拒絶したので、右天野は、止むなく昭和三三年八月八日訴外河村昌平に対し、右土地所有権を売渡した、右河村も適当な換地を条件に土地明渡や地代値上を請求しても、種々難題を吹き掛け土地所有者の要求を一顧だにせず、これがため右河村も持て余し、事務所建築を必要としていた原告会社に、これを譲渡するの止むなきに至つた。被告上田は前記家屋を所有するも登記がないし、その他その賃借権を所有権に対抗し得るものがないので、原告会社は被告上田に対し右建物を収去し、本件土地の明渡しを求めるとともに原告会社に所有権取得登記を了した昭和三三年二月一五日より右明渡済に至るまで、相当賃料である一個月六万二八〇〇円の割合による損害金の支払を求める。被告合名会社住長商店は被告上田が代表する会社であるが本件建物に同居し占有するので同被告に対しこの家よりの退去を求める。

被告等の主張に対し

被告等は地上権に関する法律第一条により地上権の推定を主張するがその旨の登記がないから同法第二条によりこれを原告に対抗するに由なし。

被告等は訴外河村と原告会社との間の本件売買は仮装であると主張する。しかし訴外河村は原告会社の外五株式会社の代表取締役を兼ね、これ等会社は原告と営業目的を異にし、訴外河村も本来は帽子の販売業者で不動産売買等には経験がない。ただ原告会社の株式を多く引受けたためにその代表取締役にされているもので経済的にも実質的にも訴外河村と原告会社は別個である。資力ある者が多くの会社の代表者とされても、それ等会社がすべていわゆる個人会社とみなされ得ないことはもちろんである。本件売買に当り原告会社は商法第二六五条に基き取締役会の決議をへたしまた本件売買代金三〇〇万円の内、一五〇万円は他より金融を得て既に現実に訴外河村に支払つている。この売買の登記手続に関する費用や不動産取得税で合計二八万〇九六七円を要したのであるが、もし右売買が仮装なりとせばかようなむだな費用をかける筈はない。

被告上田は本件土地に建築してから一〇年以上も登記手続をなさず、その間三回も増築し隣地の住友銀行人形町支店より買取に来るのを予知しながら、右登記手続をかえりみなかつたのは建物保護法による利益を受ける権利を放棄したものである。かような借地人が新土地所有者に対し、その土地明渡請求に対し権利濫用とか信義則違反を主張するいわれはない。

原告会社は訴外河村所有の建物を賃借してこれを営業所として使用しているが、建物は狭少でまた不動産会社の信用上、相当広い営業所を必要とするために本件土地を買受けたのである。さらに被告等はこの地から離れることはその死活に関する旨主張するが本件土地附近には繊維問屋はあるが仕立物屋はないのでボタンとかその他の附属品を直接販売する店は被告方以外には一軒もない。東京都内ににおいてボタン問屋とかこれに関係のある洋品問屋街は本件土地と一〇数丁離れた中央区日本橋横山町にある。したがつて、本件土地は被告方の営業に必ずしも便宜な土地とは称し得ない。しかも被告上田は前述のように地主泣かせの借地人であり、また訴外河村が、本件土地の地代が一月坪二〇〇円で近隣の相場から甚だしく低廉であるのでその値上げを懇請しても一顧だにせぬ非人情さであつてしかも自らは賃借権保護手続を怠つている。かような賃借人と土地所有者の地位を比較考察すれば原告の土地明渡請求に対し権利濫用や信義則違反を主張する資格がないものといわなければならない。

被告等訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、請求原因事実に対する答弁として原告主張事実中、本件土地がもと訴外天野源七の所有に属し被告上田はここに建物を所有していたが右建物は戦災で焼失したこと、その後同被告は別紙目録記載家屋を建築所有占有したがこれに登記手続のなされてないこと、この土地所有権は訴外天野より訴外河村に譲渡されたこと、被告合名会社が本件建物に同居占有していることは認めるが、その他の事実を争う。

(一)  被告上田は本件土地を正当に使用する権限を有する。すなわち被告上田はその先祖代々遠く徳川時代から本件土地の上に建物を所有し、地上権に関する法律第一条により同土地に対し推定地上権を有する。仮に然らずとするも、この建物が罹災後、翌二一年九月再建され、この借地権は借地法の適法を受ける賃貸借として訴外河村の承認を受け、その賃借権は罹災当時から引続き、存続しているので被告上田のこの土地の占有は無権限ではない。

(二)  本件土地につき訴外河村と原告会社との間には原告主張のような売買契約はない。仮にあつたとしてもそれは右両者間相通じた仮装のものであるから無効である。すなわち原告会社は訴外河村が名実ともに代表者であり運営の実権を完全に握つているので原告会社と訴外河村とは実質上同一体とみるべきである。かような関係にある両者間に真実本件土地所有権を移転する意思があつたとみることは出来ないし原告会社の本店は敷地建物とも河村個人の所有である。また原告会社の経理をみるに創立以来五年間に資本金の約六割の欠損を有し資産として格別の不動産を有することもないのに本件のような高価な土地を買う資力はあり得ない。原告は他より代金の一部を借用して訴外河村に支払つた旨を主張するが、その貸主なるものは、かような資力あるものとはいえないし、これ等の点に関する原告会社の帳簿の記載は不明確で到底信をおき得ない。

(三)  仮にそうでないとしても、そもそも訴外河村個人が訴外上田より土地を買受けた目的は、本件土地に隣接する住友銀行人形町支店が本件土地を高価に買収する計画あることを聞知し、土地使用権のある被告上田を誘い共同して巨利を得んとするにあつた。従つて河村個人は被告上田の借地権を承認し地代も領収し、右売収問題について同被告に種々はかるところがあつたが、その後同被告の借地権にはそれ自体登記もなく、またその地上建物にも登記のないことを発見するや、本件賃借権の対抗力をはばむために前記のように実質上同一である原告会社にこれが土地所有権を譲渡し、登記手続を了し被告上田をしてその賃借権を対抗し得ない状態を作出してこれが明渡を求めてきたのである。建物保護法第一条にいわゆる「第三者」は、その悪意善意を問わないとしても右のような事情の下に本件土地を取得した原告は単なる悪意の第三者とは甚しく異なり被告等に対し、建物に登記のないことを主張してこの土地の明渡しを求める資格を欠くものというべきである。

(四)  以上の理由なしとしても原告の本件明渡請求権は権利濫用であつて許されない。すなわち、被告方は徳川時代より縫針類を販売しさらにその後ボタン類の老舗として代々同所で営業を継続しておりこの附近には多くの繊維問屋が集り、ボタン類がその附属用品である関係上同地を離れてその営業は成り立たない事情にある。それ故に被告は本件土地を離れて生活することは極めて困難でその明渡は死活問題である。それに反し、原告会社は不動産の売買仲介業を営み立派な営業所を有し殊更本件土地を使用する必要はないのである。被告上田が本件建物に登記手続をしなかつたのは建築代願人に一切をまかせ、同人において既に登記済であると信んじていたためで他意はない。かような被告側の事情と前記三において述べた原告会社の本件土地を取得した事情を彼此考察してみれば、原告の土地明渡請求こそまことに権利濫用の代表的のものといえよう、と述べた。

証拠として≪省略≫

理由

原告主張の本件土地がもと訴外天野源七の所有に属し、被告上田においてこれを賃借しこの土地の上に原告主張の家屋を建築所有していたこと。右土地所有権はその後天野より訴外河村に譲渡され右河村は訴外天野より賃貸人たる地位を承継し、被告上田と賃貸借関係にあつたが、本件土地はさらに同訴外人より原告会社に売却されたこと。本件建物には登記の経由なかりし事実は当事者間に争いがない。今訴外河村と原告会社間の右売買行為が仮装であるかどうかの点はしばらくおくが、本件原告の土地明渡請求は左記理由により信義則に違反し、許されないものと解する。すなわち、成立に争いのない乙第八乃至第一〇号証≪省略≫をそう合考察すると、訴外河村は自己又はその家族の名義を以て資本金二五〇万円の原告会社の大部分の株式を有しその実権を掌握していたし、原告会社は当時河村個人所有の不動産を管理するのが主要目的であつた。また河村個人の金策まで共にしていたこと、被告側が訴外河村個人に対する本件土地賃料支払のために振出した小切手は原告会社の銀行口座に振込まれたこと、原告の営業所は訴外河村個人所有の土地建物(総建坪四七坪)を使用していた事実を認めることができる。以上の事実からすれば、他に反証のない限り訴外河村と原告会社は実質上一体をなしたものであると推認することができる。

さらに成立に争いのない甲第一号、第一三号証原告代表者本人被告上田本人(一、二回)の各尋問の結果(但し後記認定に抵触する部分を除く)と本件記録に徴すれば、右河村個人は本件土地所有権取得後昭和三二年九月より同年一二月分までの賃料を従前のまま異議なく受領し被告上田に対しては隣接の住友銀行人形町支店が本件土地の買収をなすに際しては二人共同してもうけようとまでの話を持ちかけたにもかかわらず、昭和三三年になると、同被告よりの賃料の提供を拒絶し昭和三三年二月一四日附で原告名義に登記手続をなすや、同月二二日附仮処分命令に基きその執行をなし、同月一五日附右の登記簿謄本右登記の日以前である同月一〇日附上田所有家屋の台帳謄本などを資料として翌月六日急拠本件建物収去土地明渡の訴を提起した事実が認められる。

以上の諸事実からすれば、原告会社は被告上田の賃借権にして第三者に対抗力なきを知るや、原告会社において本件土地を買受け自らを第三者に仕立てた消息をうかがうことができる。

一方被告上田本人尋問の結果とそれにより成立を認め得る乙第二一、二三号証によれば、本件土地附近には繊維商が多く、被告方の営業である縫針ボタン類の取引に甚だ便宜の地であること、特に被告方の縫針業については江戸時代より連綿として今日まで本件場所において行われている事実やこの附近において他に適当な営業所を求めることは至難である事実を認めることができ、かような事実からすれば被告等が本件土地より立退くことは経済上死活の問題でありまた精神上重大な苦痛を受けるものと推測される。

以上原告側における訴外河村と原告会社の同一性、本件訴提起に至る事情とさらに原告側において本件土地を緊急に必要とする首肯するに足る事情の認められないこと、また当裁判所において真正に成立したものと認められる乙第二四号証によれば原告会社は被告等の明渡によつて現在四〇〇〇万円以上の巨利を得る計算となることなどを併せ考え、一方被告側の前記事情を比較考察すれば原告会社が被告等に対し家屋収去土地明渡を請求するのは、まことに賃貸借関係における信義誠実の原則に違反し無効なるものといわざるを得ない。

もつとも被告上田において元地主である訴外天野源七よりの本件土地買受方交渉やその地代値上の要求に応じなかつたことは本件証拠上認められないではないがかような事情は前記権利濫用の認定には直接関係のないことがらであり、また訴外河村よりの賃料値上要求を拒絶したのは同訴外人が従来の坪二〇〇円の賃料を附近の地代を考慮せず、一躍坪一〇〇〇円に値上げせんとしたことに不満を持つたものなることも、成立に争いない乙第六号証の一、二証人長崎孫四郎同岩戸昭太郎同篠原金作の各証言上田本人尋問の結果(一回)でこれを推知し得られないでもないし、かくの如き一躍数倍の地代値上は仮りにそれが客観的相当な地代であるとしても、被告上田の拒絶を予想し原告会社への譲渡の正当性を工作したものと推測せられるのおそれなしとしない。

よつて原告の本訴請求はその他の争点について判断をなすまでもなく失当なのでこれを棄却すべく訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し主文のように判決する。

(裁判官 柳川真佐夫)

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